2010年02月11日

日中太極拳交流史

著者の李自力先生の指導を受けたことがあるので読んでみました。
日中太極拳交流史


読んでみて感動しました。よくこんなにコンパクトに明解に太極拳の歴史や現状について書いてくれたと。日本体育大学博士号論文に手を入れたものだそうです。
一番気になった記述は、太極拳の近代化の功罪。
「競技化」によって開かれる「国際化」への道の中にアッ!と驚く文章があったので抜粋します。
 「日本の伝統的な「柔道」が「競技化」し、ついには「国際化」をはたして「JUDO」となったときと同じことが起こっている。つまり、日本的な土着性(バナキュラー性)、すなわち日本的な風俗・習慣や精神性、実用性などがつぎつぎに剥奪され、ついには国籍さえ不明な無色透明な競技スポーツに変身してしまったことは周知のとおりである。それと同じことが太極拳でも、いままさに起こりつつある。まして太極拳は「採点競技」への転身である。極限すれば限りなく体操競技の床運動に接近していると言って過言ではなかろう。
 太極拳の「近代化」の過程には、このような陥穽がいくつも仕掛けられているということを見逃してはならない。

太極拳の競技化は、私の好きな太極拳から離れてしまうのでないかと疑問を持っていたのですが、李自力先生は明解に答えてくれたのでした。

そして太極拳も、文革の迫害を受けたことも初めて知りました。多くのベテラン武術家や専門学者も被害を受け、障害者になったり命を落としたりし、貴重な挙譜や資料も焼かれたり破られたり、武器も壊されたと。

私は20年ほど前に、楊名時先生の弟子の指導を受けました。楊名時先生の太極拳は、素足で行いました。真冬でも冷たい体育館で素足。それがゆっくりと気を感じながら集中して体を動かしていくと、冷たかった手足がジンジンと熱くなって汗ばむほどになりました。息は静かで深いまま、真冬の体育館で汗をかいて、スッキリする。これが快感で、太極拳にはまりました。先生は柔道着でいかにも武道という感じです。音楽は使いません。

ずっと続けたかったのですが、転居のためその後楊名時先生の太極拳に出会わなかったので、太極拳から離れてしまっていました。長いブランクの後やっと昨年、たまたま自宅近くで、楊名時先生の太極拳とは違うけれど遠くもない先生と出会ったので、再開したというわけです。今度の先生は李自力先生の弟子です。

先日相当なお年に見える方が、実に柔らかな動きで太極拳をする姿を間近で見、やはり太極拳はすごいなあと思いました。私は競技には全く興味がなくて、「中国文化の思想、中華武術の風格や文化の体現」にあこがれています。あこがれているだけで、はるかかなたにいるのですけれど、好きこそものの上手なれで、一ミリでもいいから地道に前進を続けていきたいと、本を読んであらためて思いました。
posted by jun at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 本からA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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