2005年11月07日

マツモトキヨシ伝

このところ、薬局マツモトキヨシが大躍進で、横浜にも次々と店舗ができました。店を見るたびに思い出すのは、創業者松本清の姿。私は松本清を知ってます。

4093463611すぐやる課をつくった男―マツモトキヨシ伝
樹林 ゆう子
小学館 1996-06

by G-Tools


松本薬舗の店主だった松本清が松戸市長になった年の、すぐやる課が誕生した月に、東京から松戸の小学校へ、私は転校しました。テレビですぐやる課のことを何度も取り上げてましたし、中学校のときに運動会の来賓挨拶が市長松本清ご本人だったことがあったので、その姿はとても印象に残っています。

運動会のスピーチの内容は覚えてないのですが、とにかく面白い話だったことはよく覚えています。「私はただの薬屋のオヤジでね。」と親しげに語る口調は、ちょっと茨城っぽく訛っていて、そのへんのオジサンみたいな親近感がありました。

「マツモトキヨシ伝」を読んでいろいろとわかったことがありました。まず驚いたのは、マツモトキヨシという店名です。選挙で名前を連呼するのだから、どうせなら店名もマツモトキヨシにしてしまって、一挙に名前と店を宣伝しちゃおうというアイデアでした。

松本清の長男は松本和那(かずな)というのですが、名前の由来がなんと、アメリカのスーパー王ジョン・ワナメーカーのワナの当て字で別の読み方にした。

選挙の投票率を上げるために、自治省から怒られながらも景品付き選挙をやってしまった。

本当は体が弱くて医師から市長は無理と止められていたのに、死んでもいいからと立候補して、本当に4年後に亡くなってしまった。

商人の感覚で次々と松戸市政を大改革した偉人なんですね。市役所の入り口の石のプレートに大きく刻まれた文字を見たときには驚きましたヨ。松本清の思いが、はっきりと伝わります。

松戸市民のために立つ人のいる

これを1969年に実行し、職員に市民のことをお客様と呼ばせた松本清は、偉大です。在任中、自分は薬屋で結構儲かっているからと、市長の給料は受け取らなかったそうです。

金がなくてもやりくりして、合法ギリギリの手段で市内のすべての道路を舗装し、すべての学校に体育館を建て、困難な区画整理事業を成し遂げた剛胆な政治家、この松本清が大活躍しているときに、私はその翼の下で義務教育を受けていたのでした。感謝なことです。

運動会の来賓挨拶は、過酷な市長の仕事を、無給で、命をけずって松戸市民のために奉仕していた姿だったのだと今さらながらに知らされ、なんと尊い姿を見せていただいたのだろうと思いました。

福祉活動に熱心だった母は、「松本清があんまり土木建設事業に力を入れたから、松戸の福祉行政が遅れた」と言っていたのですが、どうなんでしょうか?もしも長生きして長期在任したら、福祉にも力を入れられたかもしれません。マツモトキヨシ伝には市立病院の整備に亡くなる直前まで熱心だったと書いてありました。

両親の墓参に行く途中に、松本清記念館があります。いつも通りかかるのですが、今度は是非寄りたいと思います。
posted by jun at 06:40| Comment(1) | TrackBack(1) | 本からA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by 松戸悪人退治連盟 at 2006年07月04日 15:26
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